日本カラオケ史(全3回)第1回~カラオケの誕生からカラオケボックスの登場まで

東京オリンピック・パラリンピックの開催が近づいてまいりました。
IOC(国際オリンピック委員会)の定める「オリンピック憲章」には、
「オリンピズムはスポーツを『文化・教育』と融合させ、生き方の創造を探求するもの」
とあります。
スポーツの祭典であるオリンピックもまた文化の一つということです。

さて、オリンピック発祥の地がギリシャというのは有名な話ですが、
今回のテーマであるカラオケ発祥の地を皆様ご存知でしょうか?

実はカラオケ発祥の地はこの日本なのです。

「カラオケ」という言葉は、英語でも「karaoke」であり
中国語でも「卡拉OK」(読みは「カラオケ」)です。

今回は、2020年オリンピックの開催国・日本が
世界に誇る文化の一つでもあるカラオケの歴史について触れてまいります。

諸説ありますが、
カラオケの原型は1970年前後に日本各地で同時多発的に誕生したと言われています。

カラオケの誕生以前は「流し」と呼ばれる演奏者が近隣のスナック等を巡り、
リクエストに応じてギター等を弾き、それに合わせて客が歌うというスタイルでした。

しかしながら生演奏の場合、そもそも「流し」が店にいなければ客は歌うことができません。

そこで、演奏を事前に録音しておき、
それを再生しながらマイクを通して歌うことのできる装置が考案されました。
その装置(あるいはその仕組み)が、いつしか「カラオケ」と呼ばれるようになったのです。

ちなみにカラオケの語源は、「空」の「オーケストラ」を略したものというのが通説です。
「流し」がその場にいなくても歌が歌えて便利ということで、
カラオケはスナック等の盛り場に徐々に浸透していきます。

黎明期のカラオケ装置は、
8トラックカセットを用いた「8トラカラオケ」と呼ばれる形式で普及していきます。
もっとも、カセットには音声しか収められないため、今で言う歌詞モニターはまだなく、
歌詞の掲載された冊子等を見ながら歌うのが一般的でした。

1980年代に入るとレーザーディスクを用いた「レーザーカラオケ」が登場し、
伴奏だけでなく映像も扱えるようになります。
現在のようにモニターに表示される歌詞を見ながら歌うスタイルが確立したのはこの頃です。

また、8トラカラオケではカセット一つに最大4曲までしか収録できないのに対し、
レーザーカラオケではディスク一枚に10曲以上を収録できるようになり、
メディアの入れ替えの手間も幾分軽減されることとなります。

この当時のカラオケはあくまでお酒の席の余興の一つであり、
ほろ酔いの男性客やデュエット相手の女性従業員といった、
限られた層の遊びに過ぎませんでした。

筆者は1975年生まれですが、子供の頃に見たなぞなぞ本の中に、
空っぽの風呂桶の絵を示して「これは何でしょう?」という問題がありました。
答えはもちろんカラオケですが、ヒントとなる一文に
「君のお父さんが好きなものだよ」とあったことを覚えています。
そのぐらい、当時のカラオケはまだまだ子供には縁遠い存在だったのです。

夜の盛り場のお父さんたちの間で密かに親しまれてきたカラオケですが、
その後、老若男女を問わず爆発的に浸透するきっかけとなる施設が登場します。

それがカラオケボックスです。

初めてのカラオケボックスは1985年に岡山県で誕生したと言われています。

(カラオケボックスの元祖とされる「イエローBOXカラオケひろば」)

コンテナボックスの中にカラオケ機材を置いたその施設は、
飲食や歓談を主目的としたスナック等とは異なり、
単に歌を歌うことのみを目的として提供されました。
そのことにより、
それまでスナック等に馴染みのなかった主婦や学生といった新しい層も
カラオケを楽しめるようになったのです。

また、カラオケボックスはスナック等のようなオープンな施設とは違って、
知人のみのプライベートな空間ということもあり、
人々の歌うことへの心理的なハードルを押し下げる効果もありました。

こうして誰もが気軽に歌える場として誕生したカラオケボックスは
瞬く間に全国に広がっていき、
以後カラオケは単なる余興の一つではなく、
主たる娯楽としてその地位を確立していくのです。

ところで、「カラオケボックス」という呼称の由来をご存知でしょうか?
それは先ほど述べたとおり、
当初の店舗がコンテナボックスの形式で展開されていたことによるものです。

初期のカラオケボックスは主に郊外にあり、
広い敷地内にカラオケ設備付きのコンテナボックスが多数配置されていました。

現代では建物内の部屋を使用するのが一般的なので
「ボックス」よりも「ルーム」と呼ぶほうが妥当に思えますが、
それでも今なお「ボックス」と呼ばれているのは、
初期のコンテナ型店舗が主流だった時点で
一般名称として世に定着していったからなのです。

(本記事は雑誌「東京人」掲載用に2019年10月に執筆したものです)

— 第2回へ続く —

 

<追伸>

黎明期のコンテナ形式カラオケボックスは今と違って、
入口で靴を脱いで、室内はスリッパを履くタイプが多かったように記憶しています。

また、当時のカラオケボックスはどの部屋も一定のタバコ臭がございました。
分煙を求められる現代社会と違い、大人の喫煙は当時はごくごく一般的な嗜好でした。
タバコを片手にカラオケを楽しまれた方々も当時は多かったかと思います。

現代でも稀にタバコ臭の感じられるカラオケルームがございますが、
そうしたカラオケルームに入ると唯野はいつもどことない「懐かしさ」を感じます。
あの頃のコンテナカラオケボックスを思い出すからなのかもしれません。
(唯野は喫煙者ではございませんが)。

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