この3月は温かくなったり寒くなったりと不安定な気候が続きますね。
そんな中、唯野は奇跡的に体調も崩さずなんとか健康を保っています。
(通常、冬には必ず1~2回はカゼをひくのですが…)。
さて、ここひと月はTwitterの投稿がメインだったので、
少し投稿内容を振り返ってみました。
(3月13日)
採点機能においてビブラートは欠かせない評価軸ですが、
もし採点にビブラートという概念が一切取り入れられずに今に至ったとしたら、
現代のカラオケユーザーの歌唱はどのように変わっていたでしょうか?
…20年前、私たちはそこまでビブラートを意識して歌っていたかな、と。
(写真は精密採点プラス)
いまやカラオケユーザーにとってすっかりおなじみとなったビブラートですが、
そのきっかけとなったのは、間違いなく採点コンテンツだと考えています。
逆に言えば、もしも今に至るまで採点コンテンツにビブラートという判断基準がなく、
加点にも何の影響もしなかったとしたら、
ここまでビブラートという概念は、カラオケユーザーに浸透していたでしょうか?
もちろん、ある程度の上級者・プロ志向の方であれば、
採点コンテンツに関係なく十分熟知していたものと思います。
ただ、ごく一般のカラオケファンであれば、
おそらくここまでビブラートが意識されることはなかったのではと思えるのです。
さて、ここで大事なのは、
「ビブラートをたくさん入れた歌がはたして素晴らしい歌唱なのか?」
ということです。
唯野はビブラートを、歌唱における「調味料」のようなものと考えています。
必要なところにスパイスとして利かせることで、歌はより引き立つものです。
しかしながら、ありとあらゆる語尾に常に大きく波打つビブラートをつけた歌唱というのは、
ひたすら調味料を振りかけて作った料理と同じようなものかと思います。
「採点でビブラートを入れると点数アップ → ビブラートをいっぱい入れる歌が上手い歌」
的な誤解をお持ちのカラオケファン、少なからずいらっしゃると、ここ最近特に感じています。
このあたり、採点の観点にビブラートを導入した所からの流れなのかな、と思えてなりません。
(もちろん、ある程度のヘビーユーザーであれば、
高得点歌唱と人が聴いて心地良いと感じる歌唱とは別物と理解されているとは思います)
(2月27日)
料理でよく「素材本来の味を活かす」と言いますが、
歌に喩えると「楽曲本来の味を活かす」かと思います。
楽曲の良さの引き立つ歌唱ができれば世界観もまた自然に伝わります。
逆にテクニックという調味料を使い過ぎれば曲よりも歌い手自身の主張が強くなります。
曲を活かすか、自分を活かすか、ですね。
「伝わる歌」をもう少し定義づければ、「『その楽曲の良さ』が伝わる歌」なのかなと考えます。
楽曲そのものの持つ良さを引き立てるように、ビブラートも含めたテクニックを散りばめるのが、
自然に「良い歌」を伝えることに繋がるのかなと思います。
逆に言えば、楽曲以上に歌い手自身の主張のほうが目立つ歌唱の場合、
自分自身をアピールしたいという意図であれば相応に効果的ですが、
反面、楽曲の良さを伝えるという観点からすれば、どうしても伝わりにくくなるものです。。
このあたりは、ステージに立たれる際に、
「とにかく私のことを見て!」という想いで歌うのか、
「この曲の良さを届けたい」という想いで歌うのか、
改めてご自身の立ち位置を意識しておくと良いでしょう。
その際に、聴き手から見て、どちらのステージのほうがより胸を打つのか、
という点も念頭に置いて考えると良いかと思います。
唯野感覚ですが、たとえばレコード会社などのオーディションに臨む際は、
「私を見て!」スタンスの歌唱で、
テクニックを駆使して引き出しをアピールするのはありだと思います。
逆に、オーディエンスのいる場でステージを披露するのであれば、
自身のテクニックは、楽曲の良さを引き立てる範囲内で多少散りばめる程度の方が、
より好感の持たれる、かつ聴き手に素直に伝わる歌唱になるかと思います。
失恋ソングを涙を流しながら熱唱するのもまた違いますし、
メッセージソングを淡々と歌うのもまた違います。
失恋ソングは楽曲の世界観に委ねて淡々と言葉を伝える方が素直に届きますし、
メッセージソングは多少荒くなっても入り込むぐらいの気持ちで歌う方が説得力が増します。
また、お客さんを巻き込む系のアップテンポソングを歌うのであれば、
ある程度の「自分推し」があるぐらいのほうがオーディエンスも引き込みやすいと言えます。
(ただし「客温度」を上げらなければ独りよがりのステージに映ってしまうので要注意…)。
このように、楽曲のタイプに合わせて歌い方やテクニックを使い分けることが大事かと思います。
さらに、テクニック的なものをあまり感じられなくても胸にぐっとくる歌唱もございます。
(2月22日)
浜崎あゆみさんの20年前の1stCD「A Song for ××」を久しぶりに聴いたら、
歌詞も歌声も真っ直ぐで尖っていて心にぐさっと入ってきました。
ビブラートがなくても抑揚がなくても声色が一つでも、それでも突き刺さる。
粗さゆえのピュアさが胸を打つ。
「歌」ってテクニックだけじゃないと改めて感じました。
浜崎あゆみさんが歌手としてデビューしたのは20年前の1998年。
今や歌手としてベテランの域に達しています。
歌唱における技術・引き出しは、間違いなく20年前よりも今の方が多くお持ちのはずです。
しかしながら、最近ふと聴いた20年前に発売したアルバムの一曲一曲のほうが、
唯野の胸に鋭く突き刺さってきたのです。
ビブラート、全くありません。
歌い方もどことなくたどたどしく感じます。
ただ、とにかくまっすぐで一生懸命な想いは伝わってきます。
ひょっとすると、これがある意味「素直な歌唱」なのかなと感じたのです。
つまり、歌はテクニックのみで伝わるものではない、ということです。
楽曲の良さを伝えるにはどうすれば良いか。
楽曲の良さを際立たせるためにはどのようなテクニックを入れれば良いか。
そして、あなたはこの楽曲をあなたなりにどのように伝えたいか。
この視点でご自身の歌唱を組み立てると、より聴き手の印象に残る歌唱を表現できるはずです。
<追伸>
(3月10日)
この場所に来るといつも頭の中を「Love is the mystery~」がリフレインします。
イントロから頭を駆け巡ります。
どこかの場面や何かのきっかけで必ず浮かぶ楽曲って凄いです。
音楽の持つ力って大きいですね。
楽曲って、そのままの状態で十分に力を持っているものです。
良い楽曲であれば、素直な歌唱を素直に聴くだけで自然と頭に情景が浮かぶものです。
そういう意味で言えば、
楽曲本来の持つ力に「乗っかって」素直に歌うこともまた、歌唱テクニックの一つかと思います。
<追伸2>
実はこの日、唯野が乗る飛行機は「南ウイング」からでした。
しばらく気づかずにこのまま歩き続けてしまいました。
楽曲の持つ力に無意識に引っ張られてしまいましたね。。